くふうハヤテベンチャーズ静岡に所属の最速150キロの右腕で知られる早川太貴選手。
潜在能力が高く、プロでも通用するかもと注目が集まっていますね。
そこで今回は、早川太貴選手のプロフィールや経歴、学歴などについて調査していきます!
早川太貴のプロフィールは?
- 早川 太貴(はやかわ だいき)
- 生年月日:1999年12月18日
- 年齢:24歳
- 出身地:北海道江別市
- 身長:185cm
- 体重:96kg
- 右投右打
- 所属:くふうハヤテベンチャーズ静岡
結婚はしておらず、家族構成はご両親と弟さんの4人家族のようです。
生まれてから大学まではずっと北海道で暮らしていたようです。
早川太貴の学歴は?大学はどこ?
- 江別市立大麻泉小学校(北海道)
- 江別市立大麻東中学校(北海道)
- 北海道大麻高等学校
- 小樽商科大学
早川選手は北海道江別市の出身で、地元の小学校・中学校・高校に通っていました。
大学は少し離れた小樽市にある国立大学の小樽商科大学を卒業されています。
就職先として多いのは、情報通信業や市役所、銀行などのようです。安定的な職業に就かれる方が多い大学のようですね。
また小樽商科大学は、全学年合わせても2300人くらいしかいない小規模な大学のようです。
早川太貴の経歴は?
早川選手がどのような野球人生を送ってきたのか気になりますよね?
小学校・中学校時代
早川選手は、小学校3年生の時に東大麻グランドキングスで野球を始めました。
東大麻グランドキングスは北海道江別市で活動する少年野球チームのようです。
もしかすると、早川選手の弟さんが小学生になるタイミングで兄弟で野球を始めたのかもしれませんね。
中学生になると、クラブチームではなく江別市立大麻東中学校の軟式野球部でプレーしていました。
きっと他の中学校から注目される存在だったでしょうね!
高校時代
北海道大麻高等学校では、甲子園出場は一度もありませんでしたが、最高球速は125〜130k/mとピッチャーとしての実力はつけていたようです。
高校2年生の秋に背番号1のエースナンバーを任されましたが、その後大会前後で骨折するなど不運が重なり良い成績は出せませんでした。
高校3年間は、札幌地区予選で敗退に終わっています。
大学時代
小樽商科大学では、当時札幌学生野球連盟の2部に所属していた硬式野球部に所属しました。
目立つ存在ではなく、大学で野球を辞めようと思って大学2年まで過ごしていたようです。
しかし、体重を10キロも増量したことで体格が大きくなって球速もアップし、大学4年の時最高147km/hを記録しました。
「できるところまでやってみよう」と社会人でも野球を続けることを決意したようです。
やはり野球は体作りも大切なのですね~!
社会人
大学卒業後は、北広島市役所に務めながら
- クラブチームのウイン北広島に所属
- 北広島市職労のメンバーとして軟式野球をプレー
していました。
平日は北広島市の福祉課で働き、全体練習が行われる水曜日と週末は午前3時に起きて、2時間ほど汗を流していたようです。
恵まれた環境ではなかったものの、自主的にグラウンドを借りて練習するなど努力家な早川選手。
週に3回は仕事終わりにジムに通い、体重が95キロに達した時には球速150km/hを計測しました。
早川選手は、軟式と硬式をプレーしていた珍しい選手でしたが、
と自身の成長に繋がったようです。
その後2024年~くふうハヤテベンチャーズ静岡に所属しています。
まとめ
いかがでしたか?
市役所の福祉課で勤務しつつ、野球を続けてこられた早川選手。
体格も大きくなるために努力してきたようですね。
早川太貴選手の今後の活躍が楽しみですね!